【5分でわかる】アンダルシア地方の歴史。南スペイン行くなら知っとこ!

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アンダルシアの歴史のサムネイル画像

フラメンコは踊れないが、シェリー酒は呑めるワタシです。

アンダルシア、南スペインをより深く味わうには「イスラムが築いた黄金期」「キリスト教勢力のレコンキスタ(国土回復運動)」「チャンス到来の大航海時代」の3つを抑えること。

コルドバ「メスキータ」に香るイスラムの美しさや、セビリア「大聖堂」が無言で伝える征服のドラマ、グラナダ「アルハンブラ宮殿」の滅びゆくものの栄華。ーー知れば知るほど色鮮やかに、当時の匂いや音すらが感じられる気がします。

〝ふぅん〟とか〝キレイね〟じゃ、旅費がもったいない。

旅情誘う〝白い村〟とて、その由来に重なる文化を知れば、想いはより深い。なので【5分でわかる】アンダルシア地方の歴史をどぞ。

スペインの史上最重要の「レコンキスタ」って何?

レコンキスタをイメージした画像

スペインがイスラムに征服されてたというのは、歴史の授業で聞いた記憶があるかと。でも、ナンデ? 日本の1.3倍もある大きな国なのに…ただ8世紀ごろは「スペイン」じゃなくて、いくつかの小国、弱小集団でした。

で711年、イスラム軍が、スペインのあるイベリア半島に上陸、攻略します。日本が〝ナントきれいな平城京〟の710年奈良時代になった翌年の話です。イスラム帝国はウマイヤ朝全盛期、弱小集団の「なんとなくスペイン」はひとたまりもありませんでした。

このイスラムの人たち、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(いまのトルコ・イスタンブール)攻略に失敗した後だったんで、ならばヨーロッパの南から攻めるぞと、アフリカ大陸から北上してきました。

勢いが、違う。あっというまに、半島を乗っ取られちゃいました…

でも、キリスト教国だって黙っちゃいませんよ。即座に反撃して、722年には半島の北の一部にアストゥリアス王国を築きます。半島の上、ほんの一部ですが…いまのスペイン、アストゥリアス地方のあたりです。

ワタシB

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ここ、シードラ(リンゴ酒)が特産!
北スペインに行ったら呑もう。歴史にゃ関係ないけどネ

話戻して、これが「レコンキスタ(国土回復運動)」のはじまり。イベリア半島の覇権をかけて 15世紀の末に、アンダルシアのグラナダが陥落するまでつづきます。長い長い、闘い。キリスト教 VS イスラム教の歴史です。  

スペイン、イスラムとキリスト教国の地図
790年ころの勢力図(現在のスペイン各州を色分けしたラフなもの)

キリスト教国、バリバリ押しこまれて たいへんですわ〜 というようなわけで、スペイン、とくに南部のアンダルシア地方にイスラムな雰囲気がいまも漂うのは、こんな歴史的背景があるわけです。

じゃ、この前提をふまえて、コルドバの世界遺産「メスキータ」に行きます。

アンダルシアの見どころ、コルドバ重層の歴史

メスキータの中の様子

レコンキスタがまだそんなに激しくなかった8世紀半ば、コルドバを首都としたイスラムの国ができます。そのときに建てられたのが、現在の観光名所「メスキータ(モスク)」です。

アンダルシア地方の歴史をまるごと詰め込こんだ〝重層の建築物〟。ローマの神殿から西ゴート王国の教会になり、モスクに改築されて13世紀キリスト教の奪還で、モスク中央ぶち抜きのカトリック大聖堂にしたという…ローマ神殿当時の柱頭や土台はいまでも遺っています。

いろんな神サマが入れ替わり立ち替わりした場所なんです。この歴史的ごった煮感が、じつにコルドバらしい。  建物に漂う〝違和感〟を探して回ると、アンダルシアを交錯するさまざまが感じられると思います。

でもまぁ大聖堂というよりは、どう見てもモスクではあります。メッカの方角をしめす、美しい装飾の「ミフラーブ」は印象的。

コルドバのメスキータ内にあるミフラーブの画像

*世界遺産「メスキータ」についてはコチラ>>コルドバのメスキータに行くなら朝イチ!歴史を少し頭に入れて出かけよう

都会派イスラム、この街では信教自由

話をメスキータを建てたコルドバ国、10世紀には世界最大の人口という大都市でありました。そしてこのコルドバでは、キリスト教とイスラム教、そしてユダヤ教の文化が共存して、豊かに栄えていた時代があるんです。

コルドバのイスラムはとてもリベラルな人たちで、かつ合理主義者。キリスト教徒、ユダヤ教徒だっていいじゃん。みんなWinWinで、この国繁栄させようぜってな感じです。

ま「人頭税っちゅう税金を収めてくれたら、何教信じてもいいわ」ってことだったようですけど…

*コルドバの重層的な歴史を感じられるホテル>>コルドバの高級ホテルおすすめは、心にくさ満点の隠れ家一択【スペイン宿泊記】

特別待遇のユダヤ人、歴史一転で、迫害される

で商才あるわ、頭いいわ、手先器用だわのユダヤの人たちは重用されて、税金の優遇処置も受けてました。ユダヤ人の金貸しには、高利も認められてたっていうんで、特別待遇です。なもんで、13世紀にキリスト教徒がコルドバにノしてくると、イスラムだけでなくユダヤ教徒も迫害受けます。

憎悪の対象。

いまでもコルドバにはユダヤ人街があって、白壁つづくキレイな場所ですが…

この界隈の地下には、ナンカのときにすぐ城壁の外へ逃げられるよう、トンネルがあるんだとか。宗教裁判、異端審問とかで、ヒドい拷問にあわされたらしいですからね。いわゆる〝魔女狩り〟みたいなことです。

だから、そんな歴史の名残に思いをはせながら歩くと、ユダヤ人街も感慨深い散策になります。

コルドバが繁栄した10世紀から一気に13世紀まで飛んじゃいましたが、 いくらなんでもワープし過ぎなんで、ちょい戻ります。

11世紀のスペイン、キリスト教国、盛り返します! 

スペイン、イスラムとキリスト教国の地図
1150年の勢力図。ベージュが、レオンとカスティーリャ王国

11世紀になると、イスラム教 VS キリスト教の形勢が逆転してきます。イベリア半島の北側4分の1に押しこめられていたキリスト教国。レオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの各王国とバルセロナ伯爵領なんですが…

レオンとカスティーリャ両方の王さまであるアルフォンソ6世が、 この時期イスラム文化の発信地になってたトレドを征服。この王さまの名前、アンダルシアを旅行すると、たびたび目にするので覚えておいてソンはありません。ホテルの名前とか…かなり有名な王さまです。

このころヨーロッパ全体のキリスト教国は「聖地エルサレム奪還!」で、第1回十字軍を派遣したりと、勢い増してます。一方、イベリア半島のイスラム側は分裂して小さな国だらけ状態だったんで、 北アフリカにいるイスラムな人たちに援軍を頼んだりして、VS キリスト教をつづけます。

一進一退の攻防てな感じ。  

アンダルシアのグラナダ奪還で、レコンキスタ終焉

黄昏時のアルハンブラ宮殿遠景画像
どこかもの哀しい夕陽のアルハンブラ宮殿

  で、13世紀になると、イスラム勢力はグラナダ王国だけになっちゃいます。

キリスト教国側は、ローマ法皇も号令して各王国が団結ですよ。

ほかの国のテンプル騎士団だのまでくわわって、イケイケな感じ。  

さて、そろそろ飽きてきたところで、主役、登場します。  

スペイン史にサン然と輝く大スター、イサベル女王! って、いわれても…

ですか?  

新大陸発見&スペイン帝国設立の立役者

大航海時代のイメージ画像

この人、とにかくスゴい。

なんといっても最大の功績は、 ダンナの反対を押し切って、コロンブスの航海のスポンサーになったことです。

このコロンブスがアメリカ大陸を発見したおかげで、スペインが大帝国になるわけですからね。

先見の明のある人は、金持ちになります。  

ま、ダンナのフェルナンド2世は地中海に強いアラゴン王国の王さまではありますが、イサベル女王はイベリア半島の大半を牛耳るカスティーリャ王国の女王なんで…

1歳年上だし…

とはいえ、このダンナもなかなかな人で、イタリアの有名な政治思想家、マキャベリにいわせると〝名君〟だそう。

〝国のためなら、汚いことだってやっちゃうよ〜〟というタイプです。  

このふたり、両家の結婚によってエスパーニャ王国、いまのスペインが成立します。  

で、ふたりして、ついにアンダルシアに最後に残ったイスラムの砦、グラナダを陥落させ、レコンキスタを終結させる。

それゆえ、ふたりを称して「カトリック両王」といいます。

そしてこれがなんと!

コロンブスが〝イヨッ、クニ〟が見えるのアメリカ大陸発見の1492年

800年近くつづいたレコンキスタを終わらせたのが、お宝を生んでくれる新大陸を見つけたのと同じ年なんです。

ワタシB

ワタシB

持ってるよね〜 イサベルって

彼女が愛したアンダルシアのグラナダ

スペイン紙幣に描かれたイサベル女王の画像
紙幣に描かれたイサベル女王の画像

そして遺された、アルハンブラ宮殿です。

広大な領土の支配者であるカトリック両王は、永眠の地をアンダルシアのグラナダに選びます。

なんたって800年近くつづいたレコンキスタの終結、新大陸発見のニュースを聞いた場所ですから。

思い入れもひとしおでしょう。

イサベル女王にいたっては、アルハンブラ宮殿のなかに立てた修道院に埋葬するよう遺言してます。

遺体はあとで、孫のカルロス1世が建てたグラナダ大聖堂の王立礼拝堂に移されますけど、 いまでも埋葬当時の墓標が、アルハンブラにはあります。  

「神のみぞ勝利者なり」  

これを信仰心ととるか、大役をまっとうした安堵ととるかは見る人の自由。

ワタシA

ワタシA

ワタシは後者かなぁ。
もっと複雑な気持ちだったろうけど。
18歳で結婚してからずっと、戦争戦争で明け暮れてたわけだし…

アンダルシア、大航海時代のセビージャに思いをはせる

セビージャの街角画像

さて、イサベル女王のネクスト・ジェネレーションです。

で、そうそう世の中うまくはいきません。

一男四女のこどもたち、みんな早死にしたり、離縁させられたりとさんざん。

国を継いだフアナ女王などは、〝狂女王〟とかいわれて幽閉されちゃうし…  

サラブレッド、カルロス1世誕生

でも、隔世遺伝っていうんでしょうか、孫のカルロス1世がこれまたスゴいんです。

母方の祖父母が、イサベル女王とフェルナンド2世のカトリック両王ってだけでも大したもんですが、 父方の祖父母は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ公国最後の君主マリー。

で、この人17歳でスペインにくるまで、オランダにいました。

だから最初、言葉もわかんないし、苦労したらしい。

しかも、19歳で、神聖ローマ帝国も継いじゃって、もうたいへんなんですわ。  

ちなみに、神聖ローマ皇帝としてはカール5世って呼びますけど、カルロス1世と同一人物です。

このあたりがちょっとヤヤコい。  

16世紀は、スペイン黄金の時代

セビージャ大聖堂の黄金の祭壇の画像
セビージャ大聖堂黄金の衝立(ついたて)

で、カルロス1世

神聖ローマ皇帝にもなって、ハプスブルク家(マリー・アントワネットが生まれた家)の領土も支配することになったので、 ヨーロッパから新大陸、フィリピンにいたる世界帝国を築いちゃったんです。

〝太陽の沈まない国〟っちゅうわけやね。  

でこの時期、この世の春をもっとも謳歌した街のひとつが、アンダルシア地方のセビージャ(セビリア)なんです。

ときは、大航海時代。 アメリカを探検したアメリゴ・ヴェスプッチや、世界一周をしたマゼランだのは、みんなここの港から出航してます。

逆もしかり。

新大陸からもたらされる金銀財宝は、まずここにもたらされるわけですからして。

もうね、ウハウハなわけですよ。

ワタシA

ワタシA

上の写真の大聖堂スゴい衝立の黄金。
ペルーのクスコという街の「太陽の神殿」から
はがされたものだとペルーの人たちはいってました

この大聖堂にはコロンブスの彫刻など、栄華を極めたスペイン大帝国をしのばせるものがあるので、 大航海時代をふまえて訪れると感慨もひとしおってなります。

スペインの絶頂期は、16世紀末までつづくのだけど、 その後ナポレオンが攻めてきたり、継承戦争がおこったりで衰退しちゃいます。

まさに、カルロス1世の1500年代が黄金の世紀だったというわけです。

アンダルシア特産シェリー酒にもイスラムの影響が

シェリー酒を樽から注いでいる画像

アンダルシア地方の西、ヘレスという街があります。

で、11〜12世紀のキリスト教 VS イスラム教の綱引きが繰り広げられてるあたり…

シェリー酒で有名な街。

古代からつくられてきた酒精強化ワイン。

ポートワイン、マデイラワインといっしょ「世界三大酒精強化ワイン」です。

アルコール度数めちゃ高いが、うまし。

で、このシェリー酒、なんでそう呼ぶかというと…

711年から5世紀以上もこの地を支配したイスラムの人たちが、このヘレスの街を「シェリシュ」と呼んでたからなんです。

ちなみにシェリ酒じゃないですよ…まさかね。

ムスリムって、お酒飲んじゃいけないんですけど…

まぁ、いろいろ理由をつけてつくられ続けてました。

で、12世紀にはもう英国とかに輸出されるくらい有名なお酒になっていて、そのころから「シェリー」と呼ばれてたそう。

ヘレスの街がキリスト教国に奪還されてついた街の名「ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ」は、〝国境のヘレス〟という意味なんです。

そして変わらず、だいじな輸出品として世界中に出荷されていきます。

そう、もちろんいまでも。 

フラメンコも、白い村もアンダルシアの歴史の一部

フラメンコダンサー

南スペインを旅行するなら、ぜひ見ておきたいのがフラメンコ。

もちろんアンダルシアでなくとも見れますが、ここはやはり本場で。

で、このフラメンコの発祥は不明なことも多いのだけど、起源がアンダルシアなのは間違いのないところ。

イサベル女王とフェルナンド2世のカトリック両王によるモリスコ(キリスト教に改宗したイスラム教徒)追放令にもかかわらず、イベリア半島、アンダルシアにとどまるモリスコは数多かったのだとか。

そんなモリスコたちから生まれたのが、フラメンコなのだそうな。

だからエキゾチック。

どこか悲哀にみちてて…

そして、激しい。

スペインの白い村のひとつカサレス

ちなみに、アンダルシア観光の目玉のひとつである「白い村」も、モリスコたちが隠れ住んでた村であります。

そんなモリスコたちの反乱の後や、そこはかとなく香るアラブな雰囲気が、アンダルシアの白い村に、情感をもたせているのはたしかなことです。

縮小版スペインの歴史は、これで終わりです。

ぜひアンダルシア旅行に行くときの参考にしてください。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

それでは、よい旅を〜  

スペインのどこを旅行したらいいか悩んでいたらコチラの記事を読んでみてください
▶︎スペイン至福の旅行プランを立ててみた!

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6 件のコメント

  1. 現在、12月の世界遺産検定に向けてオベンキョ中です。楽しく、読ませていただきました。モスリコ達のこと、知りませんでした。また興味が湧いてきました。検定がんばります。(笑)

    • 村上様

      コメントの受信状況が悪く、お返事が遅くなりまして恐縮です。
      読んでいただき、ありがとうございます。
      記事は、マジメに楽しく書きたいと思っておりますので、これからも頑張ります!
      検定を受けられるのですね? 頑張ってください。

      北スペイン、アラゴン州でもレコンキスタの様々を見てきたので、早く記事に書きたいのですが…
      また、どうぞお立ち寄りくださいm(_ _)m

  2. 放送中のイサベルを検索していて、こちらを拝見しました。

    実は以前BSで放送されたラテンドラマがきっかけでスペイン語を習ってます。月二回なので上達せず…
    数年前クラスの皆でスペイン旅行してきました。
    行く前に読んでおけば良かった!
    面白くて分かりやすくい内容です。
    またスペイン行きたくなりました。

    • ともこさん

      コメントありがとうございます! 面白くて分かりやすいナンテありがたいお言葉です!
      イサベらのドラマ面白いですよね。とくにスペインに行ってると、ワクワクしてしまいます。

      スペイン語を習っておられるのですね。羨ましい。
      私も独学で3ヶ月くらい頑張りましたが、結局カタコト覚えただけで…きちんと習いたいです。
      ぜひぜひ、またスペインにいらしてください!

  3. ものすごくわかりやすかったし、面白かったです。
    ありがとうございました。

    • kazukoさん

      嬉しいコメントをありがとうございます!
      わかりやすい、面白いは最高のホメ言葉です‼︎
      また面白いといっていただけるような記事を書きます!

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